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太宰治と郡内地方


太宰治

本名津島修治。明治42年(1909年)6月19日青森県北津軽郡生れ。
生家の津島家は、県下屈指の大地主で、父は地方名士として活躍していた。
自虐的かつ道化的精神と絶妙の語りで、人間の偽善を告発する作品を発表。
戦後は無頼派文学の旗手として活躍し、代表作に「走れメロス」「人間失格」「斜陽」「桜桃」などがある。
昭和23年(1948年)6月13日山崎富栄(とみえ)と玉川上水に入水、39歳にて没。
死体が発見された6月19日は奇しくも彼の誕生日にあたり、毎年桜桃忌が営まれている。

尚、太宰治の生家はいったん人手にわたり民宿「斜陽館」としてファンに愛され続けてきましたが、平成9年地元青森・金木町で買い取り、太宰の少年時代の姿そのままに改築、復元され、太宰治没後50年を記念して平成10年4月17日より太宰治記念館「斜陽館」として一般公開されています。
建物の外観は和風だが、内部に鹿鳴館風の階段がある和洋折衷の木造建築となっている。


富嶽百景

お伽草紙より『カチカチ山』

服装について


富嶽百景

昭和14年太宰治30歳の時の作品。
太宰治は昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在し、初の長編小説である「火の鳥」の執筆に励みました。
残念ながら「火の鳥」は未完に終りましたが、滞在中の体験をもとに、それまでの彼の作風をがらりと変えるこの「富嶽百景」を執筆し、「走れメロス」(昭和15年作品)を代表とする中期の明るく健康的な作風を確立したのです。

御坂峠(みさかとうげ) 天下茶屋

初代天下茶屋は、昭和9年12月外川政雄氏によって建てられましたが、昭和53年台風により崩壊、その後昭和58年4月外川氏3男満氏によって現在の茶屋が再建されました。 天下茶屋の名前の由来は、徳富蘇峰がここを富士の眺め「天下第一」として世に紹介したことによります。


misaka.jpg

・・・御坂峠、海抜千三百米(メートル)。
この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井伏鱒二(いぶせますじ)氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をして居られる。
私は、それを知ってここへ来た。
井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。・・・

tenka.jpg

・・・この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還の衝(しょう)に当っていて、北面富士の代表観望台であると言われ、ここから見た富士は、昔から富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。
好かないばかりか、軽蔑さえした。
あまりに、おあつらいむきの富士である。
まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲(うずくま)って湖を抱きかかえるようにしている。
私はひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。
これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割(かきわり)だ。
どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。・・・

三つ峠(みつとうげ)

・・・私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼった。 三ツ峠、海抜千七百米(メートル)。 御坂峠より、少し高い。 急坂を這(は)うようにしてよじ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する。 蔦(つた)かずら掻きわけて、細い山路、這うようにしてよじ登る私の姿は、決して見よいものではなかった。・・・  

mitsu.jpg ・・・とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断崖の縁(へり)に立ってみても、いっこうに眺望がきかない。
何も見えない。
井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放屁(ほうひ)なされた。
いかにも、つまらなさそうであった。
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立っている。・・・

富士吉田市

・・・新田(注:新田精治氏 後に病没)という二十五歳の温厚な青年が、峠を降りきった岳麓(がくろく)の吉田(注:今の富士吉田市)という細長い町の、郵便局につとめていて、そのひとが、郵便物に依って、私がここに来ていることを知った、と言って、峠の茶屋をたずねて来た。・・・

・・・新田と、それから田辺(注:田辺隆重氏 後に戦死)という短歌の上手な青年と、二人は、井伏氏の読者であって、その安心もあって、私は、この二人と一ばん仲良くなった。
いちど吉田に連れていってもらった。
おそろしく細長い町であった。岳麓の感じがあった。
富士に、日も、風もさえぎられて、ひょろひょろに伸びた茎のようで、暗く、うすら寒い感じの町であった。・・・

・・・路を歩きながら、ばかな話をして、まちはずれの田辺の知り合いらしい、ひっそり古い宿屋に着いた。
そこで飲んで、その夜の富士がよかった。
夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰っていった。
私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。
おそろしく、明るい月夜だった。
富士が、よかった。
月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。
富士が、したたるように青いのだ。
燐(りん)が燃えているような感じだった。
鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛(くず)の葉。
私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。
下駄の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。
そっと、振りむくと、富士がある。
青く燃えて空に浮かんでいる。
私は溜息(ためいき)をつく。
維新の志士。鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思った。
ちょっと気取って、ふところ手して歩いた。
ずいぶん自分が、いい男のように思われた。・・・

河口湖町河口

post.jpg・・・御坂峠のその茶店は、謂わば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。
峠の頂上から、バスで三十分程ゆられて峠の麓、河口湖畔の、河口村という文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらいの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。
天気の良い日を選んで行く。
ここのバスの女車掌は、遊覧客のために、格別風景の説明をして呉(く)れない。
それでもときどき、思い出したように、甚だ散文的な口調で、あれが三ツ峠、向うが河口湖、わかさぎという魚がいます、など、物憂そうな、呟きに似た説明をして聞かせることもある。・・・

富士には月見草がよく似合う

月見草は俗称で、夕方開花し翌朝しぼむのでこの名前がありますが、「大待宵草(オオマツヨイグサ)」または「待宵草(マツヨイグサ)」が正しい名称です。
また、竹久夢二の歌で有名な「宵待草(ヨイマチグサ)」とも呼ばれております。
なお、月見草は河口湖町の「町の花」に指定されています。


tsukimi.jpg・・・河口局から郵便物を受取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて、女車掌が、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックしょった若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆって、口もとを大事にハンケチでおおいかくし、絹物まとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。

けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(ゆうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士には一瞥(いちべつ)も与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断崖をじっと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないという、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやった。

sekihi.jpg

老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、
ぼんやりひとこと、
「おや、月見草」
そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。
さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あいたいじ)し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には月見草がよく似合う。・・・

『お伽草紙』より『カチカチ山』

昭和20年太宰治36歳の時の作品。
河口湖町にある天上山(標高2024m)がモデルといわれています。
尚、河口湖町では天上山中腹の公園休憩所から遊歩道が整備されている央平(なかだいら)付近までの区域にアジサイを植え、天上山を”あじさいの里”として観光名所とする計画です。


河口湖町船津

tenjou1.jpg・・・これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。
甲州の人情は、荒っぽい。
そのせいか、この物語も、他のお伽噺(おとぎばなし)に較べて、いくぶん荒っぽく出来ている。・・・

「・・・おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだろう。お前にも、聞こえないか? 何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「当たり前じゃないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかったの?」
「うん。知らなかった。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかったね。しかし、へんな名前だ。嘘じゃないか?」
「あら、だって、山にはみんな名前があるものでしょう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山(おおむろやま)だし、みんなに名前があるじゃないの。だから、この山はカチカチ山っていう名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチって音が聞える。」・・・

tenjou2.jpg・・・鵜(う)ノ島の松林は夕陽を浴びて火事のようだ。
ここでちょっと作者は物識(ものし)り振るが、この島の松林を写生して図案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだという話だ。
たしかな人から聞いたのだから、読者も信じて損は無かろう。
もっとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなっているから、若い読者には何の興味もない話である。・・・

服装について

昭和16年2月雑誌「文芸春秋」に発表された太宰治31歳の時の作品。


日本三奇祭の一つ吉田の火祭り

firefest.jpg・・・富士吉田は、八月末の火祭りの日であった。
その土地の友人から遊びに来いと言われ、私はいまは暑いからいやだ、もっと涼しくなってから参りますと返事したら、その友人から重ねて、吉田の火祭りは一年に一度しか無いのです、吉田は、もはや既に涼しい、来月になったら寒くなります、という手紙で、ひどく怒っているらしい様子だったので私は、あわてて吉田に出かけた。・・・

・・・毎年、富士の山仕舞いの日に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)へお礼のために、家々の門口に、丈余の高さに薪を積み上げ、それに火を点じて、おのおの負けず劣らず火焔(かえん)の猛烈を競うのだそうであるが、私は、未だ一度も見ていない。・・・